楚晩寧
本座は手紙が好きじゃない。
手紙にはいい思い出がない。
能筆を誇れるわけでもなく、添えるべき詩も作法も知らない。
手紙の書き方を思い出そうとしたが、欠けた記憶をつなぎ合わせようとしてもどうにも不鮮明で、かつてのことはまるで夢か彼岸の出来事のようだ。
だから、本座は本座の好きなように書くぞ。
ひと月前、彩蝶鎮に出向いた折、とある花農家から菊を譲り受けた。
町の周囲に群生している野菊とどう違うのだと聞いたところ、これは食するために栽培された特別な菊だという。
それで本座は思い出した。
踏仙帝君として修真界を統べて間もない頃、彩蝶鎮の地主が、春には蘭を、秋には菊を献じていたことを。
世俗では菊は仙境に咲く霊薬とされ、菊を食すことで邪気を払い、無病息災や長寿を願うのが重陽節の慣わしとなっていた。
時期が近づくと、本座の元にも大輪の菊がいくつも運び込まれ、庭の亭を飾り、重陽節の夕餉には菊の花びらが浮いた酒が供されたものだ。
いつだったか、或る年の菊花酒の出来が悪く、杯を叩き割ったことがあった。
修為を極め、境地に達した仙君たる本座に邪気払いなど無用、そも花ごときが本座に効くものか、思い上がりも甚だしいと、献納した者に処罰を与えた後、その慣わしはぱたりとなくなった。
当時は花ごときと鼻で笑ったが、今となれば皮肉なものだ。
まあ、そんなことはいい。
晩寧、
お前はすぐに風邪を引き、熱を出す。
其処いらの犬が作ったものならいざ知らず、この本座が手ずから仕込んだものであれば功を奏するだろう。
床下の奥に、白い甕が置いてある。
そろそろ苦みも薄れてきた頃合いだから、子供舌のお前でも飲めるだろう。
いいか、重陽節は九月の九日だ。
忘れず飲むように。
はあ、やはり手紙は好かん。慣れないことをしたら肩が凝った。
本座がここまでしたのだから、今度はお前が本座に手紙を書くといい。
そうしたら、その次の手紙は「見信如晤、展信舒顔」から始めてやらんこともないぞ。
墨燃